サントリー角瓶 商品名がパッケージに記されていない謎

亀甲模様のボトルに入ったそのウイスキーは、「角瓶」と呼ばれる。実は不思議な呼び方である。1937年の誕生以来、製品ラベルにその名が記されたことはない。今も昔も、ただ「Suntory Whisky」とだけ書かれている。国内では誰もが角瓶と言うが、海外ではラベルに書いてある通り「サントリー」と呼ばれることも多い。80年に近い歴史の中で変わることなく亀甲ボトルを使い続け、通称だった角瓶が以前からブランドの正式名称とされている。それでもラベルにその名はない。けれども角瓶であり続けている。時代を超えて同じブランドが生き続けるとはどういうことか、角瓶が物語る。
ウイスキー事業 14年越しの到達点
創業者・鳥井信治郎が京都郊外で山崎蒸溜所の建設に着手したのが1923年で、初めて本格的な国産ウイスキーを発売したのは6年後の1929年だった。当時の社名は寿屋という。現在のサントリーという名称は、ウイスキー第1号製品のブランド名から誕生した。そのウイスキーは、ラベルの色から「白札」と呼ばれた。翌年発売の第2号は「赤札」、その後も作り続けられたサントリーウイスキーの到達点が、1937年の「角瓶」だった。
ウイスキーの本場・スコットランドに負けない国産品をつくるという意気込みで始めたウイスキー事業は、リスクの大きい挑戦だった。用地の取得や工場建設に巨額の費用を要するだけでなく、最初は何年にもわたり蒸溜と貯蔵を繰り返すだけで、製品を売ることができない。ようやく発売した白札だったが、評判が悪くてどうにも売れない。ワインなどその他事業で経営を支えつつ、ウイスキー事業の赤字は累積する一方だった。
1つのウイスキーブランドの味わいは、樽ごとに特徴の異なる原酒をいくつも組み合わせることで決まる。鳥井信治郎は、日本人が美味しいと感じる味わいを求め、ブレンドの工夫を重ねた。白札から角瓶にたどり着くまで、試行錯誤は8年に及ぶ。
サントリーの社是として知られる「やってみなはれ」は、ただチャレンジ精神だけを推奨するものではない。鳥井信治郎は、自分にも社員にも弱音を許さず、とことんまでやり抜くことを求めた。
「まあ、そう言わずにやってみなはれ」
「やるだけのことはやりなはれ」
「ブレンドは、好きやないとでけるもんやない。好きやったら好きで、一生懸命やりなはれ。そしたら自然にでけるようになる。あとはとことんまでやり抜くだけや」(杉森久英『鳥井信治郎伝 美酒一代』より)
日本人に美味しいと評価される本格ウイスキーをつくるまで、工場の建設着工から14年にわたってやり通した成果が角瓶だった。
ブレンドの中味は変わる。されど「角瓶」である。
実際には1937年以前にも角瓶と呼ばれた製品を出していたが、今に続く亀甲ボトルが採用されたのはこのときからだ。自信作の完成を機に、日本を代表するウイスキーとして世界に通じるボトルデザインを求めて考案した。薩摩切子の香水入れをヒントにしたもので、液色を輝かせるカッティングを、縁起のいい亀甲模様になぞらえた。
鳥井信治郎が追求した味わいのコンセプトは、現在の角瓶にも受け継がれている。もちろん、使用する原酒は昔と異なる。組み合わせる原酒のパターンは年々、見直しているので、1、2年の差はわずかでも、10年スパンでみれば変化は大きくなる。
それでも角瓶を通貫する味わいのコンセプトがある。
サントリースピリッツ ウイスキーブランド部の秋山信之課長は、次のように説明する。

「まろやかで飲みやすい味わいのなかにも、香りや味のキック(ウイスキーらしさ)を感じられなければならない。このイメージを基に、日本人の食生活が変化を続けるなか、時代に合わせた角瓶らしさを実現してきた。変化に対応できるのは、熟成年数などの制約を設けず、幅広い原酒を利用できるブランドであることが大きい。戦後、早い段階でスタンダードクラスのポジションを確立したことも、原酒を選択する自由度を高めた」
1937年の発売当時、角瓶はサントリーウイスキーの最高峰と位置づけられていた。高級酒のため愛飲者は一部の上流階級に限られていたが、このタイミングで市場に評価されるウイスキーが完成した意義は小さくない。この年を機に、東アジアの戦局は中国との全面戦争に発展し、さらに太平洋戦争へと続いていく。困難な状況下で打開の見えないウイスキー事業を、もしも諦めていたら、戦後のウイスキー史は違ったものになっていただろう。
「これほど時間のかかる事業を戦後にゼロから再び始められたかどうか分からないし、たとえ再挑戦したとしても、50年代からのウイスキーブームにはとても間に合わなかった」(秋山課長)
ブランドポートフォリオの真ん中に
戦後すぐに「トリス」を発売し、ウイスキーの大衆化が始まった。また、1950年には「角瓶」の上級ブランドとして「オールド」が発売された。角瓶は、ブランドポートフォリオにおける中間のポジションに移った。
その後もサントリーのウイスキーブランドは拡大していく。そのラインアップは、終身雇用が一般的だった高度成長期の日本社会にマッチした。会社組織の階級をひとつずつ出世していくように、ウイスキー愛飲者に価格帯でランク分けされたブランドを上っていく楽しみを提供した。
ブランドの格付のなかで、角瓶は言わば中間管理職の位置にあった。1970年代には、角瓶の上にオールドやリザーブ、ローヤルなどがあり、下にはホワイト、レッド、トリスなどがあった。オールドほどに憧れの対象ではないが、庶民的なイメージとも違う。ウイスキーユーザーの多くが手を伸ばしやすく、親しみやすい。このポジションにいたことは、ウイスキー全盛時よりも衰退期に力を発揮した。他のブランドが売上を落としていくなか、いつしか国内売上No.1ブランドになっていた。
ウイスキーの盛衰は、酒税の改正や89年まで続いた等級制度に左右された。角瓶の場合、75年まで右肩上がりの成長を続け、250万ケース規模になった。その後、酒税改正によって売上を落としたものの、等級制度の廃止に伴う価格低下で相対的に値ごろ感のあるブランドとなり、92年には約315万ケースに増加した。そこからは焼酎の拡大に押されて長い低迷期に入る。08年には150万ケースとなり、ピーク時の半分以下まで落ち込んだ。
92年からの16年間で販売数量は半減したが、08年以降に反転し、6年後の14年には約330万ケースとなって過去最高を更新した。この転機は角瓶ブランドが自ら起こした。新しいスタイルによるハイボール提案である。

ハイボール提案 食中シーンへの飛躍
ウイスキーの需要を伸ばすうえで、飲み方提案は商品そのものと同じくらい重要だ。1950年代後半のトリスブームはハイボールと共にあった。70〜80年代初めに市場を席巻したオールドには水割りのイメージが伴う。一方、角瓶では固有の飲み方をあまり提案してこなかった。
「数量減が続くなかでも業務用はよかった。とくに好調な店はハイボールで提供している。ここにチャンスがあると考え、まずは料飲店での飲用体験を高めることを目指した」(秋山課長)
飲用時品質を一定に保つため、ユーザー調査を基に最も美味しい比率を 角瓶1:ソーダ4と定め、レモンを一搾りするスタイルを公式とした。さらに亀甲模様の「角ハイジョッキ」を製作してイメージを強化している。
「乾杯から飲んでいただくためのジョッキ提案だったが、ウイスキーをジョッキで飲むスタイルには社内でも異論があった。しかし実験店での反応が明らかによかったため、この取り組みを広げていった」(同)
このスタイルによるハイボール提案は、08年後半から本格化した。当時はリーマンショック後の景気後退期で、ビールのように食事と一緒に楽しめて、より値ごろ感のある角ハイボールは幅広く受け入れられた。ウイスキーの全盛時代を知らない世代は、新しい楽しみ方として関心を示した。
業務用で起きたムーブメントは、家庭用にも広がった。食事に合わせるハイボール提案によって、手を伸ばしやすく、親しみやすいブランドは、現代に合ったスタイルへと刷新を果たした。

日本人のためのウイスキー、真ん中に「サントリーウイスキー」
海外市場におけるジャパニーズウイスキーの認知は、各国でさまざまな賞を獲得した「山崎」や「響」などのプレミアムカテゴリーが先行している。角瓶の展開も古くから行われているが、本格的な普及はこれからだ。
秋山課長は、「プレミアムクラスで高い評価を得ているように、世界のスタンダードクラスと比べても日本の角瓶が劣るとは思わない。国内同様、飲み方提案と一緒にスタンダードウイスキーを広げていきたい。バーボンではカクテルとして甘く仕上げる飲み方が一般的で、海外の方が日本のハイボールを飲むと驚かれる。国によってアプローチは変わるものの、気候や食文化の近いアジアはチャンスがあると思っている」という。
ただ、世界市場で認知を広げる際、角瓶ならではの課題もある。ブランドの名称が一定していないのだ。製品ラベルに角瓶と記載されてないことが原因であり、表記の通り「サントリー」と呼ばれることも多い。角瓶と記載すれば、いかにも分かりやすい。ただ、そのためにラベルの中央に位置する「サントリーウイスキー」の文字を外すことは考えられないという。
「日本人のためのウイスキーを目指した創業者の思いは、当社のウイスキー事業の魂として今も続いている。最初に花を咲かせたのが角瓶であり、そのブランドがずっと愛されてきた。角瓶とは何かといえば、当社のウイスキー事業の真ん中にある存在だと考える。ポートフォリオ上の位置づけだけでなく、ブランドの歴史を通じて、日本人のためのウイスキーを体現してきた」(秋山課長)
「サントリー」と名づけられたウイスキーの挑戦は、山崎蒸溜所の建設に着手してから14年、1号製品の白札から8年の歳月を経て、角瓶として結実した。角瓶は1937年から続く角瓶であると同時に、最初のサントリーウイスキーから抱き続けた志を受け継ぐものだ。だからラベルには今も、真ん中に「サントリーウイスキー」と書かれている。
週刊流通ジャーナル2015年3月23日号より抜粋