レナート・ボーレン氏(ユーラシア・トレーディング社長)の起業理由
今から何十年か後、「とりあえず、ビール」というフレーズは、昔を懐かしむ言葉になっているかもしれない。近年、ビール愛好家の嗜好は多様化し、店頭には大手メーカー以外にも多彩なビールが並ぶようになった。国産のクラフトビールや、海外で醸造された輸入ビールなどは、「とりあえず」よりも少し強いこだわりをもって選ばれている。それはワインを選ぶ感覚に近い。どんな味を好むかだけでなく、今日はどんな日か、どんな食卓を楽しもうとしているかで選ぶビールが変わってくる。
ビールは本来そういうものだと、ユーラシア・トレーディング社長のレナート・ボーレン氏はいう。中世から続くビール醸造文化を持つベルギーに生まれ、17歳から日本で暮らし、2010年にベルギービールの輸入会社を起業した。人口減で縮小していく日本市場において、その代表格のように取り上げられるビール市場になぜ参入したのか。文化の異なる2つの国で育ったボーレン氏だけの理由がある。
「ビールを楽しむことは、そのビールを生み出した文化を理解することにつながる。ベルギービールの豊かな文化を普及させることで、日本に恩返しをしたい」
レナート・ボーレン氏が起業の思いを物語る。

ベルギー代表をラインアップ
ユーラシア・トレーディングは、ベルギー3位の大手・ハーヒト醸造所の製品を中心に扱う。フルーツビールの「ミスティック チェリー」や、アヴィ(修道院)ビールの「トンゲルロー プリオル」などの個性的な味わいは、ベルギービールを楽しみたいと思うユーザーを十分に満足させる。日本各地に酒蔵があるように、ベルギー国内には古くから続く醸造所が各地にある。800種類とも1000以上ともいわれる個性的な味わいが、ベルギービールの魅力であることは間違いない。
ただ、ベルギービールとして日本人がイメージする多彩なタイプのビール群は、本国では3割前後のシェアにとどまる。マジョリティは日本と同じラガータイプだ。ユーラシア・トレーディングは、ベルギー国内でもメジャーなラガービール「プリムス」を旗艦商品としている。
「輸入会社を立ち上げたときから、ベルギー人が普段飲んでいるビールを日本各地で購入できるようにしたいと考えていた。味わいへの評価は高く、ベルギービールとは知らずに『プリムス』を選ばれているユーザーも多い」(ボーレン氏)

輸入商品の選定では、味わいのクオリティだけでなく安定供給を不可欠の要素としている。ハーヒト醸造所と日本における独占販売契約を結んだのは、同醸造所がベルギーの伝統的な製法を守るだけでなく、近代的な設備を有する大手メーカーだからだ。また、ブランドへの認知が低い日本市場で展開するうえで、商品特性が分かりやすいことも重視している。
「スペースの限られた売場で、しかも短い時間の中では難しいブランドストーリーは伝えられない。どんな商品かすぐに分かる必要がある。品質、安定供給、分かりやすさなどの条件をクリアした当社の取扱商品は、いずれもベルギー代表といえるブランドばかりだ。とはいえ、店が初めて導入する際には不安も多いと思う。発注は可能な限り少ないケース数から対応している。まずは飲んでみる機会をつくり、味を知っていただかなくては始まらない。これまでの実績をみても、試していただければ発注量は次第に増える」(同氏)
主力ブランドの「プリムス」や「ミスティック チェリー」は、前年比4~5割増のペースで伸長を続けている。
輸入ビール市場への疑問が出発点
日本で生活するなかで、ボーレン氏はベルギービールの価格が高過ぎると感じていたという。
「飲みたいけど、この値段なら日本のビールでいいと思っていた。つまり買いたい価格ではなかった。ベルギービールに関心を持つ日本の友人も多かったが、奨めにくいと思っていた」(同)
日本で販売されているベルギービールには各種税金が掛かるだけでなく、利益率を高く設定しているように思えた。
「なぜ高くしなければならないのか? 国産ビールより回転率が悪いからだ。しかし、こうも考えられる。価格が高いから回転率が悪いのではないか。もっとリーズナブルに提供して商品が動けば、マーケットはきっと広がる」
日本にいてベルギービールの価格設定に疑問を抱く人は稀だろう。もともとニッチなマーケットであり、愛飲家もある程度は納得して飲んでいたに違いない。ボーレン氏の起業は、もっと多くの人に飲んでもらいたいという願望から始まっている。事業の採算性からスタートしたのでは、ベルギービールの回転率を上げるという発想にはなりづらい。
消費者、流通、醸造所 関係者すべてにメリットを
事業モデルには最初から明確な指針があった。関係者すべてが納得できる仕組みをつくれば、利益は自然に出るというものだ。
「消費者は手頃な価格で楽しめ、店舗は従来より商品が動くことで利益が増える。マーケットが広がり販売量が増えることは、醸造所のモチベーションを高めるうえでも重要だ」(ボーレン氏)
輸入者であるボーレン氏には、ビールのつくり手も顧客という意識が明確にある。
「醸造者にはアーティストのような気質があり、より美味しいものをつくろうと頑張っている。その努力が販売数量として報われないのでは、やる気が損なわれてしまう。まして日本に輸出するのは彼らにとってもハードルが高い仕事だ。商品が動くのであれば、日本市場に合わせた商品づくりもやりやすくなる。ビールに限らず、輸出元と輸入者とはコミュニケーションが不足しがちだ。相互理解を深めるうえで、ベルギーと日本の文化を知り、細かなニュアンスも含めて双方の言葉を理解できる私は有利だと思う。ベルギーの醸造所と日本の販売社をつなぐエンジンオイルのような役割を私が担うことで、ゴールに向かうスピードが最速になる」(同)


縁あって、日本暮らし
ボーレン氏が日本での生活をスタートさせたのは17歳のときだ。ベルギーの高校を飛び級で卒業し、それ以前に何度か訪れていた日本への留学を決めた。
日本とつながりを持ったのは偶然の結果だった。日本人留学生の受け入れ先が急にキャンセルとなり、伝手でボーレン家が引き受けることになった。
「本来は私の姉が留学生の相手をするはずだったが、事情が変わって私が代役をすることになった。せっかくの夏休みが日本人の相手でつぶれてしまうと、最初は不満を口にしていた。けれど友達になり、その後は長期休暇のたびに日本へ遊びに行くようになった」(同)
留学は1年ほどで終える予定だったが、留学生の友人に付き合って受験した上智大学に合格する。
「せっかく合格したのだから、大学生活を日本で過ごすことにした。卒業を控えると、周りの雰囲気もあって就職活動をやってみた。ソフトバンクに内定をもらい、周囲の勧めもあって就職することにした」(同)
しばらくしてソフトバンクを退社し、為替のトレーダーに転身した。6年あまりを過ごしたその会社に在籍していたとき、輸入会社を起業する決意をした。
「トレーダーとして在籍したその企業は、アイデアやフレキシビリティに秀でたベンチャー企業だった。そこで他社と同じことをしていては絶対に成功しないと学んだ。自分で会社を経営して思うことは、ベンチャー企業に在籍する社員は独立精神が強く、その個性を活かすべきということだ。成功体験のしがらみがないベンチャーだからこそ、取引先から見ても面白い会社、次は何をするのかと期待される会社になれる。それはベンチャーならではの強みだ。一方で、ベンチャーには不安なイメージも付きまとう。その部分は商品を安定的に供給し続けることで払拭するしかない」(同)
長期戦略でブランドを育成
取引先に与える安定感は、企業イメージに限らずブランド戦略の観点からも重要だ。とりわけビールには、長期視点で安定したブランドイメージが不可欠という。
「ビールは、ユーザーのマイ・ブランドになる必要がある。いつものこれ、と思われなければならない。去年展開したブランドが今年ないようではよくないし、為替に影響される輸入ビールといえども、価格がころころ変わるのは避けるべきだ。相場は上がりも下がりもする。今は円安で厳しい環境かもしれないが、販売数量も伸びているし、やりようはある。長期的に一定の価格で提供し続ける方が、すべての人のメリットになる」(同)
2010年に会社を立ち上げ、潮目の変化を感じたのは11年3月の東日本大震災を経験した後という。被災地に限らず、震災は広く日本人の心に影響を及ぼした。
ボーレン氏は当時を振り返り、「深刻な震災を経験し、今までのあたりまえを見直そうという気運があったように思う。ベルギービールを提案したとき、やってみようという反応が多く返ってくるようになった。原発事故もあって日本を離れる外国人が増えたなか、ベルギー人の私が日本で何かをしようとしていることに共感してくれたようにも思う」と語る。
日本で描く、ボーレン氏の夢
ベルギービールを広げたいというボーレン氏の起業の思いはシンプルだ。消費者・取引先・醸造所など関係者すべてが納得する仕組みを追求するビジネスモデルも、実現には複雑な課題をクリアする必要があるものの、目的そのものはシンプルに洗練されている。ユーラシア・トレーディングの事業を通じて、ボーレン氏が描く夢も至ってシンプルだ。
「日本人は優しい。来日して言葉もわからない時から、いろいろなところで助けてもらった。ベルギービールの豊かな文化を紹介することで、お世話になった日本に恩返しをしたい。たとえば日本のどこかのお店に私が立ち寄ったとき、私が輸入したビールを手に楽しんでいる人を見たとする。または、スーパーの買い物カゴに、私のビールが入っているのを見たとする。そんなとき、とても幸せに思う」(同)
週刊流通ジャーナル2015年5月11日号より