ビールの価値構造が変わる。 高級感より、個性への共感

キリンビールは、つくり手の顔が見える商品づくりをさらに推し進め、愛好家と共に新しいビール文化の創造を目指す。今春、横浜市のビール工場内と東京・代官山に醸造所併設の飲食店「スプリングバレーブルワリー」を開設した。同施設でしか体験できないビールの味わい・楽しみ方を提案することで、ビールのイメージを刷新していく。
スプリングバレーブルワリー ここでしか味わえないビール体験
スプリングバレーブルワリーの名称は、1870年に開業したビール醸造所に由来する。ビール事業の源流である醸造所の名を復活させ、小規模な設備を使い、まさにクラフトビールを製造している。
基本商品として開発した6アイテムは試作品をネットで販売し、ユーザーからのフィードバックを得て完成品に仕上げた。無濾過のピルスナー「COPELAND」やフルーツビアの「JAZZBERRY」、どのジャンルとも限定しづらいフラッグシップ商品「496」といった個性派を揃える。これら6品は秋までに順次、キリンの直販サイト「DRINX」でも販売していく。
ブルワリーではほかにも、さまざまな限定醸造ビールや、フルーツなどに通液して風味を変えたカスタマイズビールを提供する。ガラス張りの壁面越しに醸造設備を眺めながら飲むことも、施設ならではの楽しみ方だ。
ブルワリーの商品を全国の店頭に流通させることは最初から考えていない。この事業がキリングループにもたらす収益面の貢献は、どんなに成功しても限定的なものだ。大手メーカーとしてあえて挑むクラフトビール事業は、成長カテゴリーに参入する営業上のメリットが主な目的ではない。これまで同社が一翼を担って築き上げたビール文化を、将来に向け再構築するねらいがある。


マーケティング部ビール類カテゴリー戦略担当マネージャーの舟渡知彦主幹は、クラフトビール事業に参入した背景について、将来のビール市場に対する危機感があったとしている。
「日本酒には地酒があり、各地に個性の明確な酒蔵がある。ドイツに行けば、ビールにだってそういった楽しみ方がある。日本のビール市場には、その文化がなかった。醸造所それぞれの香り、味わい、食事との相性を生で体験できる場がないことで、本来あるべきはずの楽しさが分かりづらくなっていた。ビールを楽しむ新たな発見を継続的につくり出していかなければ、市場は活性化しない」(舟渡主幹)
キリンのビール事業は、品質を均一に揃えたナショナルブランドを全国にくまなく流通させることに主眼を置いてきた。スプリングバレーブルワリーは、そこでしか体験できない楽しみをつくり出すための新しい仕組みだ。
ビール類カテゴリー戦略担当ビールグループの今村恵三主査は、「日本のビール文化にワクワクするような未来をつくる。それを本気でやる出発点がスプリングバレーブルワリーだ。小規模の醸造所で、お客さまと一緒に新しいビール文化を育てていく」という。
個性こそがブランドの価値
スプリングバレーブルワリーは小規模生産のクラフトビールだけに、その個性的な商品群に誰でもすぐにアクセスできるわけではない。全国に流通し、より手軽に購入できる個性派ビールとして「グランドキリン」シリーズを展開している。12年に発売したコンビニチャネル限定商品で、現在はブランドポートフォリオのなかで「コンビニクラフト」と位置づけられている。
舟渡主幹は、「独自技術のディップホップ製法を採用したこともあり、当初は新しいスペシャリティビールという位置づけだった。その後ラインアップの広がりと共に、高級感だけでなくクラフトマンシップを備えた個性を打ち出すブランドへと変わってきた」としている。
個性的なビールは、何もクラフトだけに限られるわけではない。1986年に誕生した「ハートランドビール」は、独自のコンセプトや世界観を体現することで異彩を放つ。
「ハートランドビール」は、「素(そ・もと)」をコンセプトに麦芽100%・アロマホップ100%で製造する。キリンビールの名前はネックラベルの製造者欄に小さく記載されているだけで、ブランドの世界観とメーカーのイメージは切り離されている。発売から30年近くが経過した今も支持者の輪は広がり続け、売上を伸ばしている。
「当初はアンテナショップ1店舗でしか飲めないブランドだった。コンセプトへの共感が口コミで広がっていった。一時、缶製品を出したがすぐにやめた。デザインそのものは悪くなかったと思うが、ブランドの価値観とは違っていた。製造コストはかかるが、中瓶・小瓶ともリターナブル瓶でやっている。ブランドの考え方がはっきりしている商品であり、今もどこにでもある商品ではなく、限定感を残している。このままのイメージであり続けることが重要なブランドだ」(舟渡主幹)
飲用シーンを、もっと豊かに
ビールの飲用シーンは、仕事の後の「とりあえず1杯」というイメージがあまりに強い。これも個性的なビールが増えることで、飲用目的も広がってくるに違いない。
キリンビールがライセンス生産を行う「バドワイザー」は、グローバル戦略に合わせて音楽やスポーツとの関連性を打ち出している。非日常的なワクワクするシーンを応援するブランドとして、飲むことの楽しさを伝えようとしている。
ビアカクテルという味覚的な新しさで飲用シーンの拡大を図るのが「フレビア」だ。瓶容器を採用し、スタイリッシュな見た目にもこだわった。また、発泡酒の「淡麗グリーンラベル」は、糖質70%オフの機能性を前提に、休息(オフ)を楽しむブランドというイメージが確立している。仕事の後の報酬だけがビールの飲用目的ではない。

個性こそがブランドの価値
今村主査は、ブランドの個性を重視する傾向が、ビールの価値構造を変えつつあるという。
「ピルスナータイプに偏った従来の戦略は、ビールのイメージを均一的なものにしてしまった。ゴクゴク飲めてすっきりしていることは、本来ならピルスナータイプならではの価値なのに、均一的であるばかりにつまらないものと思われるようになった。このままだとビール市場は永続しない。今の市場の枠組みを見つめ直し、壊さねばならない時期に来ている。既存の枠組みを壊すことで、従来よりも大きく開けたビール市場をつくり出す」(今村主査)
価値構造の変化は、プレミアムの意味あいも変えようとしている。ビール市場ではこの10年ほどの間、プレミアムは高級ビールの意味あいで使われてきた。ただ、伸長中のクラフトビールや輸入ビールは、大手メーカーのスタンダードビールより価格は高いものの、決して高級というイメージではない。個性派もしくは、こだわりビールというべきものだ。
舟渡主幹は、「今のお客さまは、プレミアムの中身を問う。高級イメージだけでは納得しない。クラフトビールが支持されている背景には、個性への共感がある。多彩な個性を楽しむために、より多くのお金を払って高価格帯のプレミアムビールを購入されている」という。
個性への共感が重要なのは、プレミアムビールに限ったことではない。前回で触れたように、スタンダードビールの「一番搾り」も、つくり手の思いを伝える活動を強化している。つくり手の思いやブランドの個性をいかに伝えていくか、それはビールづくり本来の姿を伝える努力に他ならない。
日刊流通ジャーナル2015年5月25日号より抜粋